安倍首相が米議会で演説。そのニュースで目にした “premier” の意味とは?

今週、米議会上下両院の合同会議で、日本の総理大臣として史上初めて演説を行った安倍首相。

演説の一部始終は以下から観られます(48分頃から始まります)。

私はこの演説を中継で観ていたのですが、その後各メディアの記事に目を通してみたところ、ロイター通信の記事『Abe voices ‘repentance’ on WW2, touts Japan’s new security role(安倍首相、第二次世界大戦に対して「悔悟」、日本の新しい安全保障の役割をアピール)』に “premier” という単語が2回出てきました。

But the conservative premier chose to focus his landmark speech more on the future of the U.S.-Japan military alliance and press skeptical lawmakers to back a Pacific trade pact.

Abe voices ‘repentance’ on WW2, touts Japan’s new security role | Reuters

But he stuck mostly to his past language, expressing “deep remorse” for Japan’s wartime conduct and saying he upheld previous Japanese apologies, including a 1995 landmark statement by then-premier Tomiichi Murayama.

Abe voices ‘repentance’ on WW2, touts Japan’s new security role | Reuters

 

“ポイント”/

 

“premier” は形容詞で使われると「最上の」という意味になりますが、名詞で使われる場合は「首相」という意味になります。

premier: a Prime Minister – used in news reports

(ニュースなどでよく使われるんですね!)

premier | Longman Dictionary

つまり冒頭の2文はこう書かれていたのでした。

But the conservative premier chose to focus his landmark speech more on the future of the U.S.-Japan military alliance and press skeptical lawmakers to back a Pacific trade pact.

(しかし保守的である首相は、歴史的演説の焦点を日米軍事協定の未来により当てると共に、環太平洋経済連携協定に懐疑的な議員の支持を得ることを選んだ。)

Abe voices ‘repentance’ on WW2, touts Japan’s new security role | Reuters

But he stuck mostly to his past language, expressing “deep remorse” for Japan’s wartime conduct and saying he upheld previous Japanese apologies, including a 1995 landmark statement by then-premier Tomiichi Murayama.

(しかし彼は、戦時中の日本の振る舞いについて『深い悔悟』を示し、また1995年の村山談話を含む日本の過去の謝罪を支持するなど、おおよそ過去の発言の流れを踏襲した。)

Abe voices ‘repentance’ on WW2, touts Japan’s new security role | Reuters

記事の印象は全体的に「聞こえは良いけれども当たり障りのない内容」に物足りなさを感じる様子でした。

原稿も一般公開

ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、安倍首相の原稿も公開していました。私は安倍首相の演説を生中継で聞いていて、強弱の付け方や盛り上げ方などお上手だと感じていましたが、実はちゃんと原稿が息継ぎのところで改行されていて、「(次を強く)」「(次もしっかり)」などのコメントも入れられていたんですね。

45分の大演説だったので、アメリカに到着後も、昭恵夫人と練習されていたようです。

安倍昭恵さんの投稿 2015年4月25日土曜日

それでも安倍首相の演説は、アメリカの演説形式に則っていて「見た目」は整っていたものの、内容はまだまだ「日本的」だったのかもしれません。