ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領の訃報記事で目にした「reconciliation」の意味とは?

南アフリカ共和国で反アパルトヘイト(人種隔離)闘争を指導し、1994年に初の民主化選挙を経て黒人初の大統領に就任したネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領が、5日に95歳で他界しました。


Nelson Mandela

(By South Africa The Good News [CC-BY-2.0], via Flickr

そのニュース記事をいろいろ見ていると、CNN の記事『Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com』がかなり詳しかったので、読んでみることに。すると、”reconciliation” という単語が何度か出てきました。

His message of reconciliation, not vengeance, inspired the world after he negotiated a peaceful end to segregation and urged forgiveness for the white government that imprisoned him.

via Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com

He reassured ANC supporters that his release was not part of a government deal and informed whites that he intended to work toward reconciliation.

via Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com

South Africa’s fight for reconciliation was epitomized at the 1995 rugby World Cup Final in Johannesburg, when it played heavily favored New Zealand.

via Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com

ポイント

“reconciliation”〔発音〕は「和解」「調停」という意味で、”reconcile(和解する、調停する)”〔発音〕という動詞から派生しています。

reconciliation | Macmillan Dictionary

  1. a new and friendly relationship with someone who you argued with or fought with
  2. a way of making it possible for ideas, beliefs, needs, etc. that are opposed to each other to exist together
reconcile | Macmillan Dictionary

  1. if you reconcile two people or groups, or if they reconcile, they become friendly again after a disagreement
  2. to find a way to make ideas, beliefs, needs, etc. that are opposed to each other capable of existing together
  3. to make someone accept a situation even though they do not like it
  4. [BUSINESS] to make two sets of numbers add up to the same total

(必ずしも対立する二者に使われるわけではなく、3.のように人間の心の葛藤の折り合いなどにも使われるんですね!)

つまり、一文目は「人種隔離の平和的解決を図り、投獄した白人政府への許しを求めた後、マンデラ氏の発した復讐ではない和解のメッセージは、世界に影響を与えた」、二文目は「彼は、釈放が政府による取引ではないことをアフリカ民族会議の支持者らに伝えて安心させ、和解に向けて動いていく意思を白人達に知らせた」、そして三文目は「和解に向けた南アフリカ共和国の闘いは、1995年にヨハネスブルグで開催されたラグビー・ワールド・カップ決勝戦に象徴される。その時、試合は極めてニュージーランド優位で進んだ」と書かれていたのでした。

補足

というわけで、この CNN の記事、かなり長いのですが、読み進めていきたいと思います。

マンデラさんは1918年生まれ。ネルソンは本名ではなく、学校の先生がつけたクリスチャン・ネームだそうです。父親は9歳の時になくなり、地元の部族長に育てられました。

一時期フォートヘア大学(University of Fort Hare)に通いましたが、後に国内初となる黒人の法律会社を経営するオリバー・タンボ(Oliver Tambo)と抗議活動をして退学処分を受けます。

その後通信制課程で学士号(bachelor’s degree)を取得し、ヨハネスブルグのヴィットウォーターズラント大学(University of Witwatersrand)で法律を勉強。卒業はせずに、1948年に大学を中退しました。

大学を辞める前、マンデラさんはアフリカ民族会議(African National Congress)の青年団の結成に関わっていました。同党及びその保守的政策に満足していなかったマンデラさんは、もっと急進的な組織に変えていこうと考えていました。それ以来、マンデラさんの市民的抵抗が続いていきます。

1956年、マンデラさんは他の政治活動家たちとともに政府への過度な反逆行動で訴えられ、5年間裁判が続いたあげく無罪に。その間、政府と市民の戦いは残虐さを増します。シャープビル虐殺事件(Sharpeville Massacre)によって世界からの非難を浴びた政府は、アフリカ民族会議を非合法化。怒ったマンデラさんは、党の軍事組織の結成を進めます。

1962年、マンデラさんはモロッコとエチオピアで内密に軍事訓練を受け、帰国後に不法出国やストライキの扇動などの罪により逮捕。かの有名なリボニア裁判(Rivonia trial)の後、妨害行為や政権崩壊の陰謀の罪で無期懲役を言い渡されました。

“I have fought against white domination, and I have fought against black domination,” he said. “I have cherished the ideal of a democratic and free society in which all persons live together in harmony and with equal opportunities. It is an ideal which I hope to live for and to achieve. But if needs be, it is an ideal for which I am prepared to die.”

(私は白人支配と戦ってきました。黒人支配とも戦ってきました。民主主義に対する理想と、全ての人々が平等の機会を与えられて平和に暮らす自由な社会を夢見てきました。それこそが実現したい理想であり、私はそのために生きています。必要ならば、その理想のために死ぬ覚悟もしています。)

via Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com

マンデラさんは、獄中にいる間も人権を主張し、南アフリカ大学(University of South Africa)より法律の学士号を取得します。

そして1988年、70歳の時に結核(tuberculosis)で入院。その後1990年2月11日に、27年間の獄中生活を経て、ついにマンデラさんは自由の身となりました。

その4年後、南アフリカ共和国初の多民族選挙が行われ、マンデラさんが国内初の黒人大統領に。

1995年には南アフリカ共和国で初めてラグビー・のワールド・カップが開催され、南アフリカ共和国が初優勝を果たしました。

この時の南アのチームについては、2009年にクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)監督が映画『インビクタス/負けざる者たち(Invictus)』で描いています。

マンデラさんは1999年に任期を終え、政界を引退。最期に公の前に姿を現したのは、2010年に南アフリカ共和国で開催されたサッカー・ワールド・カップでした。

“I would like to be remembered not as anyone unique or special, but as part of a great team in this country that has struggled for many years, for decades and even centuries,” he said. “The greatest glory of living lies not in never falling, but in rising every time you fall.”

(「私は、特別な人として記憶されたいのではなく、何年も、何十年も、何世紀も苦しみと闘い続けてきたこの国の素晴らしいチームの一人として記憶されたい。」と彼は語った。「人生の最高の栄誉は、決して倒れないことではなく、倒れても何度も立ち上がることにある。」)

via Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com

マンデラさんの訃報を受けて、南アフリカ共和国のズマ大統領はこう語っています。

“Our nation has lost its greatest son. Our people have lost a father,” South African President Jacob Zuma said. “What made Nelson Mandela great was precisely what made him human. We saw in him what we seek in ourselves.”

(「我が国は偉大なる息子を失った。そして私たちは、父を失った」と南アフリカ共和国のジェイコブ・ズマ大統領は語った。「ネルソン・マンデラが偉大だったのは、紛れもなく彼の人間性である。私たちは、私たち自身に対して求めるものを彼の中に見たのである。」)

via Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com

また、オバマ大統領は、以下のメッセージを発しています。

“We’ve lost one of the most influential, courageous and profoundly good human beings that any of us will share time with on this Earth,” Obama said. “He no longer belongs to us — he belongs to the ages.”

(「私たちは、私たちの生涯で最も影響力があり、勇敢で、善良な人物の一人を失った」とオバマ大統領は語った。「彼はもう私たちの人ではない。時代の人となったのだ。」)

via Nelson Mandela dies at 95 – CNN.com

最後に、私の心に響いたマンデラさんの名言をご紹介します。

“It always seems impossible until it’s done.”

(達成するまでそれは不可能に見える。※日本語訳は NEVER まとめより)

via Nelson Mandela’s 20 best quotes for his 95th birthday

“No one is born hating another person because of the color of his skin, or his background, or his religion. People must learn to hate, and if they can learn to hate, they can be taught to love, for love comes more naturally to the human heart than its opposite.”

(生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、もし憎しみを学ぶことができるなら、愛することも教えられるはずだ。愛はその反対の感情よりも、人間の心にとって自然になじむものだから。※日本語訳は CNN.co.jp より)

via Nelson Mandela’s 20 best quotes for his 95th birthday

“Education is the most powerful weapon which you can use to change the world.”

(教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である ※日本語訳は e StoryPost より)

via Nelson Mandela’s 20 best quotes for his 95th birthday

本当に、偉大な人です。