『テトリス』開発者アレクセイ・パジトノフ氏の知られざる素顔

ファミコンゲーム『スペランカー』の生みの親であるスコット津村さんに、名作ゲーム『テトリス』の生みの親であるアレクセイ・パジトノフさんを紹介いただき、ジェガーさんが取材した記事がこの度公開されました!

「テトリスの生みの親」の知られざる素顔

記事はまず、私たちがアレクセイさんに会った日にテトリス・カーに乗せてもらったところから始まります。

Earlier that day, after lunch at a mutual friend’s house, Pajitnov, 58, was eager to have us take turns driving his Tesla through the placid suburbs of Bellevue, Washington, where he lives, urging us on to bursts of acceleration that left momentary feelings of weightlessness in my chest every time the road dipped.

(その日、共通の友人宅〔=スコットさん宅〕でのランチの後、パジトノフ氏〔58歳〕は居住するワシントン州ベルビュー市の閑静な郊外で、順番に彼のテスラを運転させてくれた。私はアクセルを思いっきり踏むように言われ、道路を下る度に胸のあたりに一瞬無重力を感じた。)

The Man Who Made ‘Tetris’ | Motherboard

ジェガーさんはそのミーティングの後、改めて「テトリスの生みの親」であるアレクセイさんについて、記事にしたいと思ったそうです。

A quick web search for “Alexey Pajitnov” brings up ​pages of articles and interviews that fixate only on his creation of Tetris—a work that remains, far and away, the best selling video game of all time. But clearly, there’s more to the man than just Tetris. Meeting Pajitnov himself led me to wonder about, well, everything else. What was the Tetris-less life of Alexey Pajitnov?

(ウェブで「アレクセイ・パジトノフ」とぱっと検索すると、歴代で最も売れたテレビゲームとして君臨するテトリスの制作だけに触れた記事やインタビューばかりヒットする。しかし、彼は明らかに、テトリスだけの人ではない。個人的にパジトノフ氏と会ったことで、私は彼の全体像について思いを寄せた。テトリスを除いたアレクセイ・パジトノフの人生とはいったいどのようなものだったのだろう?)

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私たちがランチをした日は、スコット津村さんがエグゼクティブ・プロデューサーを務めるトーザイ・ゲーム(Tozai Games)の社長、シーラ・ボートンさんも同席していたのですが、スコットさんやシーラさんはアレクセイさんがロシアからアメリカに移住する手助けをしていて、世に知られざるアレクセイの姿をたくさん知っていらっしゃいます。そこでジェガーさんは後日、アレクセイさん本人とシーラさん、そしてスコットさんを取材しました。

Boughton entered the video game industry through the now-defunct ​Bullet-Pro​of Software, where her very first task was to coordinate with American and Russian immigration in the early 90s so that Pajitnov could move to the US and join the team at Bullet-Proof, which sponsored his work visa.

(ボートン氏は、今はなき株式会社ビーピーエスを通じて1990年代前半にゲーム業界に入り、最初の仕事として、パジトノフ氏が同社のビザ・スポンサーのもとアメリカに渡ってチームに加われるよう、アメリカとロシアにおける移民の手続きに関わったという。)

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当時、ロシアはまだ旧ソ連時代。みんな運転が荒くて、アレクセイさんも例外ではなかったそうです。冒頭のアレクセイさんにも、その名残が残っているというわけですね〜

ちなみに治安も悪く、シーラさんとスコットさんがモスクワの駅に行った時には、アレクセイさんが護衛として同行し、シーラさんやスコットさんの持つ手荷物を狙って来る人々を、文字通り振り払いながら守ったそうです。

『テトリス』誕生の瞬間

アレクセイさんは、アメリカへ移住前は国営のソ連科学アカデミー(Academy of Science in Moscow)で働いていました。

しかし決して労働条件は良いとは言えず、4〜5人用の部屋を15人の研究員で使うことも珍しくなかったそうです。

“We didn’t have any room at all,” he said, laughing. “I shared my desk with three other people. So I’d leave my work for late hours, because my desk would be vacated.”

(ソ連科学アカデミーで、アレクセイ氏には最終的に専用のコンピュータが割り当てられ、「誰も背後にいない状態で」使用することが可能になった。人口知能や音声認識ソフトウェア及びプログラムのテストをする必要があったため、パジトノフ氏はそれらをテレビゲームの形で実行したという。パスカルというプログラミング言語を用いてゲームを開発し、新しいコンピュータであれこれ試したのだ。)

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そして、その一環として生まれたのが、テトリスでした。

Tetris was formally released in June 1984 by the Academy of Sciences, after initially spreading among academics and the computer literate by way of copied floppy disks. As a tile-fitting puzzler, Tetris captivated these members of intelligentsia. After all, here was a game constructed of pristine shapes taken straight from Platonic idealism.

(テトリスは、フロッピーデスクのコピーが学者やコンピュータに詳しい人たちの間で出回った後、ソ連科学アカデミーによって1984年6月に正式にリリースされた。タイルを埋め合わせていくパズルでもって、テトリスは知識人たちの心をつかんだのである。まさに、プラトンの理想主義を実現したような純粋な形でもって形成されたゲームの誕生である。)

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テトリスはその後、1988年にラスベガスで開催された『Consumer Electronics Show』で、株式会社ビーピーエスの創設者、ヘンク・ロジャース氏に発見されます。株式会社ビーピーエスを通じて、テトリスは1989年にアメリカで発売。

Because it was made during work hours on a government computer, the Soviet government ​claimed all​ rights both to Tetris and to the untold millions in royalties that eventually rolled in. So, despite his sudden international recognition as a developer, Pajitnov remained essentially a working Joe when he joined up with Rogers and Bullet-Proof, immigrating to America in 1990 on the work visa they sponsored. Six months later, Pajitnov brought his wife, Nina, and sons, Peter and Dmitri, to Bellevue, Washington.

(政府のコンピュータで勤務時間中に作られたものだったため、ソ連がテトリスに関する全ての権利と莫大なロイヤルティ収入を握った。開発者として突如国際的に認められたにも関わらず、パジトノフ氏は株式会社ビーピーエスにビザをスポンサーしてもらって1990年にアメリカに移民し、ロジャース氏たちと合流するまで、一介の労働者に過ぎなかったという。半年後、パジトノフ氏は妻のニナ、そして息子のピーターとドミトリを、ワシントン州ベルビュー市に呼び寄せた。)

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現在は米シアトル在住

アメリカに来たばかりの頃、アレクセイさんもたくさんのカルチャーショックを経験したそうです。

It was Boughten who further helped Pajitnov acclimate to his new life. She set up his dentist appointments. She helped him understand the reasoning behind a hefty ticket he found under his wiper after he’d left a rented Cadillac parked at a fire hydrant for three days. She helped him rebut a plenitude of fast-talking businessmen drawn to the heat of his fame.

(パジトノフ氏が新しい生活に慣れる手助けしたのはボートン氏だった。歯科医の予約を取ったり、レンタルしたキャデラックを消火栓のところに3日間駐車したままにしていて、ワイパーのところに高額の違反チケットが挟まっているのを見つけた時に、その理由を説明したり〔ロシアには消火栓のところに駐車してはいけないというルールがないそう〕、アレクセイ氏の名声に群がる早口なビジネスマンたちを追いやる手助けをしたりした。)

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1996年、ソ連解体にともなってテトリスの権利がアレクセイさんに移譲されたのと同時期に、アレクセイさんは Xbox が誕生する前のマイクロソフトに入社し、ゲームデザインを手がけるようになります。

Then Microsoft started developing the Xbox. “That was very unfortunate for me. I’m interested in puzzle games. And Xbox wasn’t for puzzles,” he said. “I tried to find as peaceful a title as possible to work on. I don’t like shooting games.”

(やがてマイクロソフトは Xbox の開発を開始。「私にとっては非常に不運でした。私はパズルゲームに興味があるのに、Xbox はパズルを楽しむものではなかったからです」と彼は語る。「私はできるだけ平和的な名前のゲームに関わろうとしました。シューティングゲームは好きではありません。」)

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マイクロソフトでは結局あまりアレクセイさんのやりたいことができず、しばらくして退職。現在は自分のゲーム・プロジェクトについて考える日々を送っていらっしゃいます。

When he does sit down to design, Pajitnov doesn’t need a computer. “I usually use a notepad and pencils to design something,” he said. “Then the evening comes. I either go play tennis, or go work out at the club, or sit at home and either watch TV or read books. And that’s my day. Nothing very exciting or exceptional.”

(デザインをする時、パジトノフ氏はコンピュータは使わない。「たいていノートパッドと鉛筆を使います」とアレクセイ氏。「そのうちに夜がやってきて、テニスに行ったり、エクササイズに励んだり、家でテレビを観たり本を読んだりします。それが私の一日です。これといって特別なことはありません。」)

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この記事は、テトリスの公式 Twitter にもリツイートされています。

ちなみにこのテトリス・カーとアレクセイさんのツーショットは、スコットさんが撮影された写真です。記事にもスコットさんやシーラさんが提供した写真がたくさん使われていて、すごく貴重なアレクセイさんがたくさん見られます!

 

追記

 

VICE JAPAN によってジェガーさんの記事が日本語に翻訳されていました!これで日本語でも読めますー!