ファミコンゲーム『スペランカー』の生みの親であるスコット津村さんに、名作ゲーム『テトリス』の生みの親であるアレクセイ・パジトノフさんを紹介いただき、ジェガーさんが取材した記事がこの度公開されました!
The Man Who Made ‘Tetris’ | Motherboard
「テトリスの生みの親」の知られざる素顔
記事はまず、私たちがアレクセイさんに会った日にテトリス・カーに乗せてもらったところから始まります。
ジェガーさんはそのミーティングの後、改めて「テトリスの生みの親」であるアレクセイさんについて、記事にしたいと思ったそうです。
私たちがランチをした日は、スコット津村さんがエグゼクティブ・プロデューサーを務めるトーザイ・ゲーム(Tozai Games)の社長、シーラ・ボートンさんも同席していたのですが、スコットさんやシーラさんはアレクセイさんがロシアからアメリカに移住する手助けをしていて、世に知られざるアレクセイの姿をたくさん知っていらっしゃいます。そこでジェガーさんは後日、アレクセイさん本人とシーラさん、そしてスコットさんを取材しました。
当時、ロシアはまだ旧ソ連時代。みんな運転が荒くて、アレクセイさんも例外ではなかったそうです。冒頭のアレクセイさんにも、その名残が残っているというわけですね〜
ちなみに治安も悪く、シーラさんとスコットさんがモスクワの駅に行った時には、アレクセイさんが護衛として同行し、シーラさんやスコットさんの持つ手荷物を狙って来る人々を、文字通り振り払いながら守ったそうです。
『テトリス』誕生の瞬間
アレクセイさんは、アメリカへ移住前は国営のソ連科学アカデミー(Academy of Science in Moscow)で働いていました。
しかし決して労働条件は良いとは言えず、4〜5人用の部屋を15人の研究員で使うことも珍しくなかったそうです。
そして、その一環として生まれたのが、テトリスでした。
テトリスはその後、1988年にラスベガスで開催された『Consumer Electronics Show』で、株式会社ビーピーエスの創設者、ヘンク・ロジャース氏に発見されます。株式会社ビーピーエスを通じて、テトリスは1989年にアメリカで発売。
現在は米シアトル在住
アメリカに来たばかりの頃、アレクセイさんもたくさんのカルチャーショックを経験したそうです。
1996年、ソ連解体にともなってテトリスの権利がアレクセイさんに移譲されたのと同時期に、アレクセイさんは Xbox が誕生する前のマイクロソフトに入社し、ゲームデザインを手がけるようになります。
マイクロソフトでは結局あまりアレクセイさんのやりたいことができず、しばらくして退職。現在は自分のゲーム・プロジェクトについて考える日々を送っていらっしゃいます。
この記事は、テトリスの公式 Twitter にもリツイートされています。
ちなみにこのテトリス・カーとアレクセイさんのツーショットは、スコットさんが撮影された写真です。記事にもスコットさんやシーラさんが提供した写真がたくさん使われていて、すごく貴重なアレクセイさんがたくさん見られます!
VICE JAPAN によってジェガーさんの記事が日本語に翻訳されていました!これで日本語でも読めますー!
テトリスを作った男 – ソ連時代の開発秘話から現在まで | VICE Japan | The Definitive Guide to Enlightening Information