元日本マイクロソフト CEO 古川享氏が若者たちに伝えたいこと

シアトルで活動している SIJP(Seattle IT Japanese Professionals)というグループ主催で、講演会が開催されました。ゲストは、元日本マイクロソフト CEO で慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授である古川享さん。

講演会のタイトルは『若者たちの描く未来に期待する』ということで、私もわくわくしながら行ってきました。

古川さんが若者に伝えたいこと

古川さんは、1979年にアスキーに入社。当時大学生だったそうですが、「大学を卒業する頃にはアスキーは大きな会社になっているだろうから、(入社したくても)入れないと思うよ」と言われ、大学を中退して入社したそうです。

取締役に就任し、月間アスキーの副編集長を務める一方で、プログラマも2年間経験。会場にはメールマガジン『週刊 Life is beautiful』でも有名な中島聡さんもいらっしゃったのですが、2人が出会ったのは、なんと中島さんがまだ学生の時だったそう。

古川さんは1986年にはマイクロソフトの日本法人を設立し、初代代表取締役社長に就任。その後1991年に代表取締役会長就任を経て、2000年には米マイクロソフトの副社長に。2005年に退社されるまで、渡米回数は実に400回あまりに及んだそうです。

そんな古川さんが若者に伝えたいのは、「未来は予測するものではなく、自らの手で創るもの(The best way to predict the future is to invent it)」ということ。「パーソナル・コンピュータの父」とも呼ばれるアラン・ケイ氏の有名な言葉です。

古川さん講演中

Seattle IT Japanese Professionalsさんの投稿 2014年8月4日月曜日

古川さんの信念

私は、古川さんがどうして IT 業界から教育の道に進まれたのか、個人的にとても興味があったのですが、”pay it foward”、つまり利益を自分ではなく次の人に渡すという信念を大事にされていると聞いて、とても納得が行きました。

古川さんと中島さんの関係にも、古川さんのその信念は表れている気がします。古川さんは中島さんに、「成功して欲しいからあらゆるチャンスをあげたい」と思っていらっしゃるそうです。

中島さん登場

Seattle IT Japanese Professionalsさんの投稿 2014年8月4日月曜日

では、たとえば私が「成功して欲しいからあらゆるチャンスをあげたい」と誰かに思ってもらうためにはどうすれば良いのか。古川さんの答えは、「人にはない自分の優位性を語れる人間になること」。

そのために必要なのは、エレベーター・ピッチができるかどうかだそうです。エレベーター・ピッチとは、たとえば私がエレベーターの中でたまたま憧れの人に会った時に、目的の階に着くまでの30秒間にどれだけ自分のことを印象深くアピールできるかということ。それができる人は、確かにどんな世界でも生き残って行ける気がします。

古川さんは「『名前を残すとしたら?』と言われたら、『私は鉄道写真家です』と答える」とおっしゃっていて、中島さんも「私もメルマガ作家・中島聡として名前を残したい」とおっしゃっていましたが、私もお二人のように、ブロガーとしていろいろな人に自分の名前を覚えてもらいたいと思っています。

そのために私も、どんな人の前でもうまく自分のことを伝えられるようになろうと思います。

 

追記

 

古川さんと一緒に出張で来られていた、ねとらぼの太田智美記者も、同じ講演会を別の視点から記事に切り取っていらっしゃいます!