ファミコンゲーム『スペランカー』の生みの親・スコット津村氏講演会参加レポート
私は非 IT であるにも関わらず、ひょんなきっかけで SIJP というグループ(Seattle IT Japanese Professionals)に参加しています。
私のいるところには、Microsoft 社や Amazon.com 社、Nintendo USA 社など、名だたる企業の本社が集まっています。『Seattle IT Japanese Professionals』は、そういった企業で IT 関係の仕事に携わっている日本人の方々が、ネットワーキングや交流を軸に活動している団体です。
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SIJP は毎月第3金曜に主に活動していて、4月はゲームクリエイターのスコット津村さんを招いた講演会を催しました。
スコット津村さんと言えば、『スペランカー』や『ロードランナー』などを手がけたことで知られるゲームクリエイター。
ファミリーコンピュータ(以下,ファミコン)黎明期の1985年12月にアイレムから発売された,「スペランカー」という作品をご存じの方も多いだろう。自分の身長程度の高さから落ちるだけで死んでしまうという,「テレビゲーム史上最弱」と讃えられた(?)冒険家が主人公として活躍するアクションゲームだ。ひ弱な主人公の伝説は,当時その難度に歯ぎしりしたファンから,その頃まだ生まれていなかった若いプレイヤーにまで広く伝えられ,発売から27年が経過した現在も愛され続けている。
そんなスペランカーをこの時代にリメイクし,「みんなでスペランカー」として,日本の現地法人と共に自社ブランドでリリースしているのが,北米に本社を持つTozai, Inc.(以下Tozai社)で,ブランドは TOZAI GAMES だ(編注:そのままトーザイ ゲームスと読む)。そして,同社でシニアアドバイザーの役職に就いており(※Riho注:現在はエグゼクティブプロデューサーを務めていらっしゃいます),みんなでスペランカーの仕掛け人でもあるゲームクリエイターが,スコット津村(Scott Tsumura)氏という人物である。
via 4Gamer.net ― ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃(7.23.2012)
その本社があるのが、なんと私の今いるところということで、今回貴重な講演会が実現したのです。講演会は、SIJP との対談形式で行われました。
<スコットさんがゲーム業界に入られるまで>
スコットさんは、すぐにゲーム業界に入られたわけではありません。大学を出て最初に就いた仕事は、バーテンダーだったそうです。外交官の社交クラブとして知られる神戸外国倶楽部(Kobe Club)というところで、それまで知っていた世界とは違う世界を知ったそう。「その頃イギリスの総領事と会う機会があったのですが、彼は見た目はもちろんのこと、予想外のことが起こっても動揺を表に出さない人で、こういう人がジェントルマンかと思いました。」
スコットさんも、御年72歳でいらっしゃいますが、まさに「ジェントルマン」という言葉がぴったりです。生き生きと歳を重ねていらっしゃる様子が、内側から輝きとなってあふれていらっしゃって、とてもお若く見えます。
でも、スコットさんも、当時は現在の姿を想像されていなかったかもしれません。バーテンダーの後、ゲーム業界に入るまで、スコットさんが転職した回数は実に17、8回。さまざまなセールスから製缶、配管、土木工事、洋服、事務機器、内装、建築、小物卸、店頭販売、貿易関係、運転手、ペンキまで、何でもこなしたそうです。「新聞の就職欄を見るのが好きでした。若かったので、何をしても食べていけると思っていましたね。」転居も、神戸、大阪、名古屋、東京など12回経験されています。
転機が訪れたのは、大学を出て約10年後。当時スコットさんは、ペンキ屋で働いていました。「友人に、面白い仕事があると言われたんです。仕事を面白いということはなかなかないので、興味を持ちました。」
それが、賭博機の輸入事業だったそう。やがて、賭博機の置かれていた場所は、アーケードゲーム機の置かれる場所へと変わっていきました。スコットさんは、カプコン創業者の辻本憲三さんの立ち上げた IPM という会社(後のアイレム)に入り、開発に携わるように。そして、1976年に名作『スペースインベーダー』が登場したことを機に、テレビゲームの開発に乗り出します。
「アーケードテレビゲームはそのうちなくなって、家庭用ゲーム機が主流になると思っていました。それをわかってもらえなければ、仕事をやめてもいい、というくらい信じていましたね。」
そして、ついに1985年、ファミコン版『スペランカー』発売。その『スペランカー』のライセンスを持っていたアメリカのブローダーバンド社と日本のゲーム会社がジョイントベンチャー企業をサンフランシスコに立ち上げることになり、スコットさんは渡米してその会社を設立することになります。
「当時はアメリカに住むつもりはなくて、立ち上げまで1年だけ滞在するつもりでした。でも面白くて、『もうちょっとやりたい』と思っているうちに今に至る、という感じです。」(渡米以降も勤め先を11社変え、転居も6回繰り返していらっしゃいます。)
その後、スコットさんの予想通り、時代はアーケードゲーム機から家庭用ゲーム機へ。変化を怖れないスコットさんだからこそ、時代の波に流されることなく、むしろその波にうまく乗ることが可能だったのかもしれません。
<ファミコン版『スペランカー』が難しい理由>
ファミコン版『スペランカー』は、めちゃくちゃ難易度の高いゲームとして有名です。キャラクターの身長くらいの高さから落ちるだけで死んでしまったり、コウモリのフンで死んでしまったりします。でも、ファミコン版『スペランカー』がそこまで難しくなったのは、スコットさんがそれまで関わっていたのがアーケードゲーム機だったからだとか。
「アーケードゲームって、面白くなかったら飽きられるんですよ。だから1、2分の間に死んでしまっても、チャレンジ精神を刺激し続けなければならない。手加減が絶妙なんです。でも、家庭用ゲームソフトって、一度買ってしまったら何時間でもできるでしょ。それは生ぬるいと思って、当時のファミコン・ゲームの対象年齢よりも少し年齢設定を高くしたんです。中学生くらいに。」
でも、理不尽な難しさにしたつもりはないそうです。
「全ては、学習すればできること。死んでしまうのは、運が悪かったからじゃない。学習して、達成感を味わって欲しかったんです。」
そんなスコットさんの開発者としての思いは、オープニングの音楽にもこめられていたそうです。
4Gamer.net のインタビュー記事『4Gamer.net ― ファミコン版「スペランカー」制作者による裏話がここに。御年70歳,業界歴37年の現役クリエイター,スコット津村氏が振り返るあの頃』によると、フランスの映画『冒険者たち(Les Aventuriers)』(1967)のメインテーマの雰囲気を取り入れたそう。
確かに、映画の方は勇ましい音楽と可憐な音楽、スペランカーの方はオープニングとゲーム中の音楽が交互に流れて、どちらも物語に対する期待と不安をうまく煽っています。
ちなみにスペランカーの音楽は、現在は新しいアレンジバージョンも制作されています!
<スコットさんと写真>
休憩を挟んだ後は、スコットさんの写真の趣味についても語られました。スコットさんは「シグナルを受け取ったものだけを撮る」ようにしているそうで、生活の中で魅力を感じた人の自然な姿や風景をカメラに収めているそう。作品は『[PY] フォトヨドバシ “RANGEFINDER”』の <The Wind from Seattle> セクションや、スコットさんのフォトブログ『shot & shot : Leica M Monochrom / M9 / M8』で見られますが、非常にクオリティが高いです。
写真の紹介だけでなく、一枚一枚どのようにして撮影したのかを話してくださるのがすごく面白くて、スコットさんの感性の鋭さと観察力の高さに刺激を受けまくりでした。
帰宅後さっそくスコットさんのブログも拝読してみましたが、常に写真の撮り方やカメラの使い方を試行錯誤されていたり、写真を通してさまざまなことを発見されたりしていて、スコットさんの写真だけでなく文章からも瑞々しさがあふれ出ています。
そうして常に感性を磨き続けていらっしゃることこそ、現役のクリエイターであり続けていらっしゃる一番の秘訣なのかもしれません!