クリミアの歴史について書かれた記事で目にした「autonomy」の意味とは?

昨日、『ウクライナ事情に関するニュースで何度も耳にした「sanction」の意味とは?』という記事で・・・

The Tatars of Crimea

クリミア事情はまたいろいろややこしいので、続きは翌日の『ヨムエイゴ』に回したいと思います!

via ウクライナ事情に関するニュースで何度も耳にした「sanction」の意味とは?| ツカウエイゴ

と書いたのですが、クリミアのややこしいところは、ずばり歴史です。といっても、私は高校時代に歴史で世界史を選択していたくせに、漠然としかクリミアの歴史を覚えていなかったので、この機会に復習してみることにしました。すると、”autonomy” という単語を何度も目にしました。

私が読んでいてめちゃ参考になったワシントン・ポスト紙『To understand Crimea, take a look back at its complicated history(クリミアを理解するために、その複雑な歴史を振り返ってみよう)』にも、以下のくだりで登場していました。

Following a brief tussle with the newly independent Ukrainian government, Crimea agreed to remain part of Ukraine, but with significant autonomy (including its own constitution and legislature and – briefly – its own president).

via To understand Crimea, take a look back at its complicated history

ポイント

“autonomy” は「自治、自治国家」という意味です。

autonomy | Macmillan Dictionary

  1. a situation in which a state, region, or organization is independent and has the power to govern itself
  2. the power to make your own decisions

(州や地域、組織などが独立し、自分たちで統治する状況、という意味なんですね。2. のように個人に使われると、「自主性」「自律性」といった意味にもなります。)

つまり、「新たに独立したウクライナ政府との束の間の闘争を経て、クリミアはウクライナの一部に残ることに賛同した。しかし、大部分(憲法や議会、そして一時期は自国の大統領も)においては自治権を持っていた」と書かれていたのでした。

補足

というわけで、このワシントン・ポスト紙の記事を読みながら、クリミアの歴史の勉強(復習)をしたいと思います。

<クリミアという名前について(What even is ‘the’ Crimea?)>

It’s revealing that Crimea is, much like Ukraine, often prefaced with a “the” when referred to in English. As I wrote late last year, the once-widespread use of “the Ukraine” has often angered Ukrainians, many of whom believe that the implication is that Ukraine is a region, not a country, that could be conquered by greater powers. The same logic could be applied to Crimea: For centuries the Crimean Peninsula, which occupies a strategically important location on the Black Sea and has arable land, has been fought over by various outside forces.

(ウクライナと同様、クリミアは英語で語られる場合、”the” がつくことがある。でも、一時期広まった “the Ukraine” という言い方は、しばしばウクライナ人の反感を買った。”the Ukraine” だと、国ではなくてウクライナという地域みたいで、それだと強国に征服されそうだと考える人が多かったのだ。同じ論理は、クリミアにも当てはまると言える。黒海に通じるという戦略的に重要な場所に位置し、豊かな耕作地を有するクリミア半島は、何世紀もの間さまざまな外部の勢力によって争われた。)

via To understand Crimea, take a look back at its complicated history

たとえば、クリミアがクリミアとして知られるようになる前は、この半島は「タウリカ(Taurica)」と呼ばれていて、ギリシャ帝国やローマ帝国の一部になっていました。1400年代半ば意向は、オスマン帝国(Ottoman Empire)の保護領クリミア・ハン国(Crimean Khanate)となり、奴隷貿易の中心地に。

The modern name “Crimea” seems to have come from the language of the Crimean Tatars, a Turkic ethnic group that emerged during the Crimean Khanate. The Tatars called the peninsula “Qırım.” While Russia, which annexed the state in 1783, officially tried to change the name back to Taurica, Crimea was still used informally and eventually reappeared officially in 1917.

(現在の「クリミア」という名前は、クリミア・ハン国時代に現れたクリミア・タタール人(Crimean Tatar)の言葉から来ていると思われる。タタール人はこの半島を “Qırım” と呼んだ。1783年にクリミアを併合したロシアが、公式に「タウリカ」という名前に戻そうとしたものの、「クリミア」は非公式に使われ続け、1917年に再び公的に使われるようになった。)

via To understand Crimea, take a look back at its complicated history

『クリミアのタタール人 – 母国への回帰 – 研究と文書(The Tatars of Crimea: Return to the Homeland: Studies and Documents)』を発表したエドワード・A・オールワース(Edward A. Allsworth)氏は、「クリミア」という名前は戦略的に変化の激しい土地柄から来ていて、「要塞」という意味が込められているのではないかと説明しています。
The Tatars of Crimea: Return to the Homeland (Central Asia book series)
「クリミア」といえば、1853年に始まったクリミア戦争が有名。クリミア戦争は、オスマン帝国、フランス、イギリス、サルデーニャによる連合軍とロシアとの間で3年間にわたって続きました。ロシアは戦争に負けたものの、クリミアはロシアの一部として残ることに。

<複雑な20世紀(The peninsula had a very tricky 20th century)>

1917年の10月革命(October Revolution)によってロシア帝国が崩壊した後、クリミアは一時的に独立します。でも、長くは続かず、まもなくロシア内戦に巻きこまれて、白軍(White Army)の要塞となりました。その後、クリミアは1921年にクリミア自治ソビエト社会主義共和国(Crimean Autonomous Soviet Socialist Republic)としてソビエト連邦の一部に。その状態は1945年まで続き、1945年にロシアのクリミア州になりました。

また、第二次世界大戦中はナチス・ドイツが支配。港町のセバストポリ(Sevastopol)は、戦争でほぼ壊滅状態になりました。1944年にクリミアを取り戻した赤軍(Red Army)は、クリミア・タタール人を中央アジアに追放。彼らがドイツ軍に協力した罰、というのがその理由でした。タタール人のおよそ半数がこの時に命を落としたと言われています。何世紀もクリミア半島で暮らしてきたタタール人は、結局ソビエト連邦の崩壊までクリミアに戻ることが許されませんでした。

クリミアからは、タタール人だけでなくギリシャ人やアルメニア人の多くも追放され、すっかりロシアの土地と化しました。ところが、1954年、意外な出来事が。なんと、ロシアがクリミアをウクライナにあげちゃったのです。

Why exactly did Premier Nikita Khrushchev transfer the Crimean Oblast to the Ukrainian Soviet Socialist Republic? In an informative post over at Slate, Joshua Keating picks up on a few possibilities. For one, the award of Crimea — a strategically important place also great for agriculture — was seen as a “gift” for Ukraine, whose people had suffered terribly during World War II. Peasants from Crimea could now be rewarded with land in Ukraine. Khrushchev, though Russian himself, had worked his way up through the Ukrainian Communist Party and likely felt a tie to the region.

(当時のニキータ・フルシチョフ首相は、どうしてクリミア州をウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移してしまったのだろうか?参考になる Slate の記事で、ジョシュア・キーティングは2つの可能性を指摘している。第一に、戦略的に重要な土地で、かつ農業に適していたクリミアを与えることが、第二次世界大戦で苦しんだウクライナの人々に対する「ギフト」と考えられていた可能性だ。クリミアの小作農たちも、ウクライナの土地という褒美を与えられることになる。ロシア人でありながら、フルシチョフ元首相はウクライナ共産党の中で地位を築き上げていった人だったので、同地域に対するつながりを感じていた可能性があるという。)

via To understand Crimea, take a look back at its complicated history

もう一つは、ソ連時代はウクライナとロシアの違いはもはや名目上で、当時はあまりたいしたことだと受け止められていなかったという可能性。でも、1991年にソ連が崩壊すると、事態は明らかに変化します。クリミア人の多くはエリツィン大統領がクリミアをロシアに戻すことを期待していましたが、それは実現しませんでした。

ウクライナが1991年12月に独立に向けて国民投票を実施すると、クリミア人の54%はロシアからの独立を表明。一応大多数を占めてはいましたが、ウクライナ全体では最低の割合でした。その後、クリミアは自治国家としてウクライナの一部に残ることに賛同。1997年、ウクライナとロシアは二国間の間でロシア・ウクライナ友好協力条約(Treaty on Friendship, Cooperation and Partnership)を締結し、ロシアは公的に黒海艦隊をセバストポリに駐屯させることを取り決めました。

<今何が問題なのか(So why does this matter now?)>

Given that Crimea has a modern history intrinsically linked with Russia, contains the largest population of ethnic Russians within Ukraine, and harbors a significant portion of Russia’s navy in Sevastopol, Crimea is clearly an important place in that narrative. Add a minority Crimean Tatar population (12 percent in 2001) that has pretty good reason to be wary of Moscow, plus a lot of Ukrainians, and the situation could easily look explosive.

(現代史において本質的にロシアとのつながりが深いこと、ウクライナの中で最もロシア人人口が多いこと、そしてセバストポリに駐屯しているロシア海軍の大きさを考えると、クリミアがロシアにとっても重要な土地であることは間違いない。しかし、ロシアを警戒する少数民族のクリミア・タタール人〔2001年の調査によると国民の12%〕や、大勢のウクライナ人もいることを思うと、状況は簡単に一変しそうだ。)

via To understand Crimea, take a look back at its complicated history

この記事は1ヶ月前に書かれたものなのですが、これを読むと、クリミア事情がだいぶよくわかります。

昨日の記事で私は、クリミアのロシア編入が決まったことに対してクリミアの人たちが歓迎ムードであることを伝えましたが、私は内心そのことが意外でした。国際社会がクリミアのロシア編入にすごく反発していたので、てっきりクリミアの人たちもめちゃ迷惑に思っているとばかり思っていたのです。

でも、本質的には、クリミアの人たちはウクライナよりロシアに対する思いの方が強いんですね〜

じゃあ、どうして国際社会は今回のクリミア編入を警戒しているかというと、最も大きな懸念は、これを機にロシアがさらなる軍事行動に出るかもしれないということ。ソ連崩壊後、ロシアが本格的に領土を拡大させるのは今回が初めてだそうです。

欧米や日本は、住民投票がウクライナ憲法や国連憲章に反するとして結果を拒否し、クリミアの独立も認めていない。今回の編入を、ロシアが武力を背景に他国の領土を奪う行為とみており、ヘイグ英外相は18日「侵略であり土地の収奪だ」と非難した。オバマ米政権は同日、オランダ・ハーグで24日から開かれる核セキュリティーサミットの際に、主要国(G8)のうちロシアを除く7カ国の首脳会合開催を呼びかけた。日本も参加する方向だ。

 クリミア自治共和国と特別市セバストポリからなるクリミア半島では、ロシア軍とみられる部隊の掌握下で、16日に住民投票が実施され、95%超が編入に賛成。議会が「独立宣言」するとともに、ロシアに編入するよう要請していた。

 ロシアは今後、ウクライナ東部についても実質的な影響下に置くために、軍事行動に出るおそれがあり、ウクライナや欧米は警戒を強めている。欧米は「ロシアは追加制裁を受けることになる」(バイデン米副大統領)と、圧力をさらに強める構えだが、ロシアに方針変更させるだけの決め手には欠けるのが実情だ。

 旧ソ連諸国の中には、クリミア以外にも住民がロシア編入を求める一部地域が存在する。2008年のグルジア戦争でロシアが独立を承認した南オセチアやアブハジアなどで、ロシアはこうした地域を支援はしてきたが、実際に自国に編入したのはクリミアが初めてだ。

via ロシア大統領、クリミア編入を表明 両者が条約に署名:朝日新聞デジタル

まだまだニュースから目が離せません。