フルマラソンで山越え!?予想外にきつかった奈良マラソン2012
今回私が帰省した大きな理由の一つ。それは、父と一緒にフルマラソンに出ることでした。
私は小学校の頃から長距離を走るのが得意で、全校生徒が一緒に走る5キロのマラソン大会で歴代新記録を作り、今も保持しています。中学・高校では陸上部に属し、受験勉強の傍らずっと長距離ばかり走っていました。
そして大学に入り、憧れだったフルマラソンに初挑戦。今のようにマラソンがブームになる前だったので、「なんでマラソンなん?」とかめちゃ聞かれましたが、その時は好奇心以外何もなかったです。初めて挑戦したのはホノルル・マラソンでしたが、初マラソンで4時間半を切ることができたので、調子に乗ってそれからいろんなマラソン大会に出場。大学時代はバックパッカーにもはまっていたので、旅も兼ねて那覇マラソン、ベルリン・マラソン、第1回東京マラソンなど、さまざまなマラソン大会に出ました。ホノルル・マラソンは2回出ました。
留学中もシアトル・マラソンに出場したのですが、その時は自分の将来に不安になっていた時で、体力的には問題なかったはずなのですが、精神的にかなり不安定な状態で走ってしまい、途中でぶっ倒れてまさかの病院行きに。それからしばらくはちょっと走るのも怖くて、長い間走っていませんでした。
ところがある日、父がマラソンを走る練習をしていると聞き、私もまた練習再開。その頃はいつかホノルル・マラソンを一緒に走ろうね〜と言っていたのですが、日本でも各地でマラソン大会が行われるようになり、関西でもここ数年で大阪マラソンや京都マラソン、神戸マラソンなど次々にマラソン大会が始まりました。本当はやっぱり地元京都マラソンに出られると一番良かったのですが、京都マラソンは抽選で出場者が決まります。私たちは親子で一緒に走りたかったので、先着順で出場が決まる奈良マラソンを選びました。
と、ここまでは良かったのですが、この奈良マラソン、実はとてもやっかいだったのです。父は最初「京都マラソンのコースは坂があるけど、奈良マラソンは平坦で走りやすいはずやで」と言っていて私は安心していたのですが、鍼灸院で治療中に「今度奈良マラソンに出るんです〜」と言うと、「えっあのきついコースですか!?」と言われてびっくり。
「きついんですか?」
「確かめちゃくちゃ坂ありましたよね?」
「!(お父さんの言ってたことと全然ちゃう!)」
さっそく家に帰って父に報告し、パンフレットでもう一度確認すると、高低図を見る限り、確かにどう見ても平らなコースではありません。
「これ、やばくない?しかも一番きつい30キロ台にめっちゃおっきい坂あるで!」と私。「大丈夫、大丈夫」と父。私はこれまでのマラソンでめちゃくちゃきつい坂を経験したことがなかったので、不安で仕方ありません。20キロ手前にも同じくらいの坂があるので、コースマップと照らし合わせてみたところ、どうやら白川ダム付近にそのめっちゃ恐ろしい坂があるようだということがわかりました。
加えて最悪なことに、1週間前に私が右の足首を負傷。普通に歩くのもちょっと難しい状態だったので、当日まで父と一緒に出場できるか不安だったのですが、せめて一緒にスタートラインには立って、走られるところまで走ってリタイアしようと決めました。
ほんで走り始めたわけなんですが、歩いてもきつかったはずなのに、走るとなんとか走られそうです。最初はゆっくり走りつつ、徐々に練習時のペースにあげていきました。でもやっぱり坂になると下りで足に負担がきます。下りはゆっくりめに降りて父にペースを合わせてもらいつつ、平坦な道は全く同じペースで一緒に気持ちよく走っていきました。
「これはもしかしたら20キロくらいまでは父と一緒に走られるかもしれへん」と思った頃、例の坂登場。なんとか登ったものの、そこからありえないアップダウンが連続します。登ったと思ったら下り、下ったと思ったらまだ登りで、足の負担がやばくなってきました。なんとかそのアップダウンを越えて奈良市の隣の天理市に入り、折り返しを通過。なぜか25キロ地点でぜんざいが振る舞われていたので、父とそれを食べるために一度立ち止まり、また走り出したところ、今度は左のひざに強い痛みを感じます。走ろうとすると、ひざが震えてうまく走れません。それでも走っているとちょっと痛みが緩和したので、そのまま父とまた走っていったところ、例の32キロくらいの上り坂で本当に走れなくなってしまいました。でも一応歩けたので、歩いて父と坂を登ることに。行きは必死で坂を登っていたので気がつきませんでしたが、よく周りを見渡すと、私たちが登っていたのは坂ではなく山。見下ろすと、下界が見えます。マラソンで、私たちは山越えをしていたのです。
奈良マラソン、きつすぎるやろ〜!
それでも35キロくらいまで行くと「もうここまで来たら何がなんでも父と完走するしかない」と考え始め、根性で完走。ゴール時点では父と両手を上げて手をつなぎ、なんとか5時間ちょっとで2人一緒にゴールすることができました。
走り終わった後に一気に足の痛みが襲ってきて、写真を撮る余裕も全くなかったため、文章ですべて表現しようとしたら長い文章になってしまいましたが、足を痛めていても、父と一緒に走ったマラソンがいままでで一番良いマラソンやったことは確かです。海外にいると簡単に帰国できないこともあって、いつ父と一緒にマラソン走られるかな〜と思っていたので、こんなに早く夢が実現して本当に嬉しい限り。
ゴールしてジェガーさんにも完走の報告をすると、「次は僕も一緒に走る!」とこれまた予想外の反応をもらいました。ジェガーさんともいつか一緒にマラソン走られたらいいな〜