さまざまな「ゆれる」を表現した西川美和監督作『ゆれる』

勧められた映画はなるべく観るようにしているのですが、先日、信頼する人に西川美和監督を勧めてもらいました。私は知らなかったのですが、是枝裕和監督の助監督をされていた方です。

さっそく Netflix をチェックすると、『ゆれる(Sway)』(2006)を発見!さっそく観てみると、たくさんの「ゆれる」を発見しました。

「ゆれる」橋

映画のターニングポイントが生まれるポイントが吊り橋なんですが、この吊り橋がめっちゃゆれる吊り橋で、びびります。こんな橋ほんまにあるんかいなと思ったら、新潟にほんまにありました。

私は高所恐怖症ではありませんが、高所恐怖症じゃなくても、この橋はなんか嫌な予感がします。そして、映画ではその予感が的中します。

「ゆれる」兄弟

ゆれる橋で起きた事件。その事件の現場にいたのは、成長した兄弟でした。兄は地元で実家の商売を継ぎ、弟は上京して写真家として成功。母の葬儀で久々に再会するも、弟は家族や親戚と反りが合わず、兄と比べてろくでなしに見えます。

でも、橋で事件が起こった後、立場は逆転。事件の容疑が兄にかかるにつれ、次第に兄弟の絆がゆれていきます。

「ゆれる」人格

まわりに期待される生き方を選んだ兄と、まわりの期待を裏切る生き方を選んだ弟。兄の生き方は一見何の問題もありませんが、建前で覆われた「本来の自分」は瀕死の状態で、弟よりも深刻です。

ところが「事件」をきっかけに兄は「本来の自分」に素直になり始め、弟は「まわりから見た自分」を守るように。お互いに、感情と人格のゆれ具合が半端ないです。

私は「まわりに期待される生き方」と「まわりの期待を裏切る生き方」について考えることが時々あるので、この映画はとても興味深いと感じました。

たぶん、アメリカに行った私も、いろいろな人の期待を裏切ったはずです。でも私にとっては、それが何よりも自分を救う選択になりました。アメリカには私のことを知っている人は一人もいなくて、まわりの目を気にする必要がなかったからです。

日本を離れたことに対する後ろめたい気持ちもありますが、その気持ちは「新天地でその分頑張ろう」という新たな活力を生み出しています。おそらく弟の猛も、何かをきっかけに地元を飛び出し、同じ気持ちで東京で写真家として踏ん張っていたのではないかと思います。

そして兄も、「事件」をきっかけに、「本来の自分」と正面から向き合いざるを得なくなったのではないかと感じました。ラストがすごく好きです。

この「本来の自分」と「建前の自分」の間でゆれる兄を演じる香川照之さんの素晴らしいこと!オダギリジョーさんの演技も良いですが、私は香川照之さんに釘付けでした。

「ゆれる」水

『ゆれる』は、西川美和監督の夢から生まれた作品だそうです。以下の記事が印象的でした。

物語は、3年前に見た自分の夢から着想を得た。その夢では、殺人を犯した友より、殺人犯とかかわった自分を心配していた。「その後味の悪さや、自分の偽善があらわになったことが、製作の初期衝動になった。夢は抑え込んでいる感情が出やすく、発見の場でもある」と語る。そうした潜在意識の象徴として渓流を使った。「水の流れが生む多様な音、色、見え方は人間心理を表現する助けになった」

asahi.com:心の奥底、流れに映す 「ゆれる」の西川美和監督 – 文化芸能

確かに水の流れも「ゆれる」表現ですね。お見事です・・・!

「ゆれる」とは関係ありませんが、最後に流れるカリフラワーズの「うちに帰ろう」もめっちゃ良かったです。カリフラワーズさんの声、めちゃしびれます。