衝撃的すぎる 3D!ジャン=リュック・ゴダール監督最新作『さらば、愛の言葉よ』
先日、とてつもない映画を観てしまいました。御年84歳になるジャン=リュック・ゴダール監督の最新作『さらば、愛の言葉よ』です。
難解だけどシンプル!?
予告編だけ観てもどんな映画かわかりにくいですが、全編観てもわかりにくいです。普通に観てしまうと、ゴダールさんの映画はさっぱり理解できません。
それでも私は『さらば、愛の言葉よ』を普通に観てしまい、やっぱり理解できませんでした。まるで壮大なモンタージュのようで、常に裸体の登場人物に面食らってしまいました。
ちなみにストーリーは、シンプルにまとめられています。
でも、これを読んでもやっぱり、わかったようでよくわからないです。
ゴダール監督×3D
そこで、そもそもゴダールさんという人を理解するところから始めたいと思います。幸運にも『さらば、愛の言葉よ』に関するゴダールさんの昨年のインタビューを発見したので、さっそく観てみました。
この2つのビデオからわかることは、ゴダールさんはとにかく好奇心が旺盛で、物事に対する見方が深いこと。そして、世の中の空気にとても敏感で、「当たり前」を疑う力に極めて秀でていらっしゃること。
ゴダールさんが映画に興味を持ったのは16〜17歳の頃だったと言います。それまで触れていた文学と異なる「新しさ」に魅せられたそうです。その好奇心の強さが現在も健在していて、80歳を超えてもなお「新しさ」に惹かれ、3D 映画に取り組んだそう。
なぜゴダールさんが「新しいもの」に興味があるかというと、「新しいもの」であればあるほど、ルールがないからだそうです。3D 映画も登場してまだ間もないので、「こうあるべき」というルールはあまり確立されていません。
そこでゴダールさんは、3D 映画の可能性を思いのままにします。
なんと『さらば、愛の言葉よ』では、右目と左目で観る映像が異なるという 3D 体験ができます。全く違う映像が両目で重なると、もはや異次元の世界。とんでもない映画体験です。これまで少しずつ積み上げられてきていた 3D 映画の既成概念、一気にぶち壊されました。
映画という芸術作品
考えてみれば、初期の傑作『勝手にしやがれ』(1960)から、ゴダールさんの姿勢は一貫しています。それは、既成概念を疑うこと。『勝手にしやがれ』は、今観ると何の変哲もない作品に見えるかもしれませんが、当時の映画制作はスタジオ撮影が基本でした。しかしゴダールさんは、「映画はスタジオで完璧なセットを作って撮影するもの」という暗黙のルールをよそに、屋外に出て今で言う「ロケ撮影」を行ったのです。
先ほどのインタビューで、ゴダールさんはこう語っていました。
Sometimes painting is a frame, but sometimes you can see what’s beyond the frame. You couldn’t really see it, but you could feel it. With the invention of perspective, you felt it in a slightly different way. And then, afterwards, there was destruction with Picasso, Fauvism and all that, you could feel something else.(9:12)
(絵画というのは時々額縁ですが、時に額縁を超えたものを見ることができます。実際には見えていないけれども、感じることができるもの。遠近法の発明によって、絵画は少し違った形で感じるようになりました。その後、ピカソの破壊や、フォーヴィスムなどといったものを通じて、絵画はさらに異なるものを感じられるようになりました。)
ゴダールさんは映画において、ピカソのように私たちの感覚を広げ続けてくれているのかもしれません。既成概念から外れた「目に見えていない」世界を見せることで、知らず知らずのうちに固くなりつつある「感覚の凝り」を、ほぐそうとしてくれているのかもしれません。
ちなみに映画の原題は『Adieu au langage』ですが、先ほどのインタビューによると、ゴダールさんが現在住むスイスのヴォー州では、”Adieu” は状況によっては “hello” の意味もあるそうです。