現代イランの国内問題が浮き彫りになった第84回アカデミー賞外国語映画賞受賞作『別離』
最近忙しくてあまり映画が観られていなかったのですが、先日久しぶりにちょっと時間が取れたので、ジェガーさんと2012年に第84回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『別離(A Separation)』を観ました。
私もジェガーさんも、イラン映画ということくらいしか予備知識がなく、『別離』というタイトルがなんか不吉に思えて仕方ありません。カーテンをぴたっと閉めて部屋を暗くしたり、ソファのまわりに飲み物や食べ物を集めたりして映画を観る準備を進めていると、ジェガーさんが言い出しました。
「これ・・・夫婦で観て大丈夫かな」
「・・・実はうちもちょっと思っててん」
「”A Separation” やしな」
「・・・どうする?観んとく?」
「・・・いや、観よ」
なんとか2人覚悟を決めて、鑑賞開始。いきなり妻が裁判所で離婚を訴えるシーンから始まりました。
日本語字幕付きはこちら→ 2012年4月7日より公開 『別離』予告編 | YouTube
話し合いは平行線のまま、妻シミンは家出。アルツハイマー病の父を抱えた夫ナデルは家政婦を雇いますが、その家政婦が勤務中に勝手にいなくなってしまい、ナデルの父が生命の危機に陥ります。しばらくして戻ってきた家政婦は、激昂したナデルに突き飛ばされ、病院へ。そこで家政婦の流産が発覚します。(※ここまでのあらすじは公式サイトにも書かれています!)
話し合いは裁判所に持ち込まれますが、妻と夫、そして家政婦と家政婦の夫にそれぞれ複雑な事情があって、真相が全くわかりません。食い入るように映画を観ていると、ジェガーさんがいきなり「わかった!」と言ってきました。
「えっ!?」
「結末わかった!言っても良い?」
「いや絶対いらんし」
「紙に書くのは?」
「見せへんかったら良いよ」
するとジェガーさん、どっかからメモ帳を持ってきて、さっそく推理をしたため始めました。
「絶対当たってるで」
「わかったわかった」
そして映画再開。後半、急展開を迎え、意味深なエンディングをもって映画が終わりました。「この展開わかったん、すごいな!」と言ってジェガーさんの方を向くと、なぜか大人しいジェガーさん。
「推理・・・間違ってたん?」
「・・・間違ってたわ」
「どんな推理したん?」
ジェガーさんが先ほど推理をしたためた紙を持ってきたので、見てみると、ジェガーさんの推理も悪くはありません。(記事の最後で紹介します。)
私はイラン映画を観た記憶がほとんどないのですが、現代イランの日常生活がわかっただけでも、この映画を観る価値はあったと思います。とはいえ、予備知識なしに観たので、イランの生活習慣など、理解しにくいところもあったのは事実。日本の公式サイトに丁寧にも「映画『別離』を理解するためのワンポイント」というのがあったので、見てみたところ、すごくわかりやすく解説されていました。これ、事前に観ておけば良かったです。
スカーフ
■イスラムの教えでは、女性は親族以外の男性の前では、髪をスカーフで覆うことが義務付けられている。学校など公共の場では黒などの地味なスカーフを付けることが一般的だが、シミンのように、TPOに合わせてカラフルでおしゃれなスカーフを付ける女性も多い。敬虔なムスリムであるラジエーは外出時には黒いチャードルと呼ばれる半円形の一枚布を身にまとい、全身を覆っている。
イランの教育制度
■小学校が5年、中学校が3年、高校が3年、大学が4年となる。9月下旬(イラン暦の7月)から6月下旬が1学年の年度で、入学時に満6歳で小学校1年生に入学できる。男子には2年の兵役がある。各学年で厳しい進学試験があり、成績次第では容赦なく落第となる。高校までは男女別学で、大学で初めて男女共学となる。イランでは、女子の就学率、進学率が高まり、高学歴化が進んでおり、1998年には、女子の大学進学率が男子のそれを上回るに至った。
■ギャーライ先生がナデルの家に来ていたのは、テルメーの家庭教師をしていたため。学校の教師が生徒の家庭教師をするなどということは日本では考えられないが、イランではごく普通に行われていて、教師のこずかい稼ぎになっている。
イランの離婚率
■イランにおける離婚率はここ数10年で急増しており、2000年の約5万組から2010年には約15万組に達した。一方で、結婚適齢期を迎えた若者120万人のうち20万人が未婚とされ、離婚率の上昇と婚姻率の低下が、日本と同様に社会問題となっている。頭を悩ました政府は、アフマディーネジャード大統領(2005-現在)の音頭で、結婚資金のローンや集団結婚式など婚活支援対策に乗り出したが、効果のほどは不明である。
■イランでは、結婚する時に、離婚の条件や離婚の場合に支払われる慰謝料の金額なども含め、結婚に関する細かい取り決めがなされ、それが何ページにもわたって、契約書に書き留められる。本作の冒頭タイトル・バックの一番最後に映し出されるのは、そうした結婚契約書の1ページである。
裁判制度について
■現在イランの司法制度では、最高指導者の任命する司法権長をトップとして、最高裁判所の下に革命裁判所(国家に対する破壊活動や麻薬関連の犯罪などを裁く)と、一般裁判所(刑事、民事、家庭裁判所)が置かれている。
■イスラーム法では、胎児は受精後120日目以降人間とみなされるため、映画ではナデルが「殺人犯」として刑事裁判所に起訴されるかどうかの取り調べを受けている。また、ナデルとシミンの離婚問題が話し合われているのは家庭裁判所である。
介護について
■2000年以降、イラン人の平均寿命は70歳まで延び、介護が必要な高齢者が年々増加しているが、イランでは老人介護の施設が非常に少ない。それは、介護は家族の役割であり、施設に入れられた老人は大変不幸であるという社会通念が強いためであるという。イスラムの教えで男女隔離が厳格なイランでは、親族ではない男性の肉体に直接触れたり、介護をすることは、精神的にも社会的にもかなり高いハードルを乗り越える必要がある。高齢化問題に対し、政府も社会も十分に受け入れの意識と体制が整っていないことを、この映画は鋭く指摘している。
■ナデルの父が失禁したことに気づいたラジエーが電話で相談した相手は、イスラム教の聖職者。あとのシーンで、ナデルから慰謝料を受け取ることは罪になるかどうかも問い合わせていることがわかる。
現代イランの生活
■ナデルの家には、複数の大型冷蔵庫や食器洗い機、乾燥機、ピアノ、パラボラ・アンテナなどがあるが、裕福というほどではなく、ごく一般的な中流の家庭の風景である。イランのお金持ちは、日本のお金持ちとは桁違いに裕福であるが、イランの中流階級は日本の中流階級とほぼ同じような生活をしていると考えてよい。
■100トマンは約9円なので、介護の1ヶ月の賃金30万トマンは約27000円、ナデルの保釈金4000万トマンは約360万円、示談金1500万トマンは約135万円ということになる。イランの通貨単位は、他に、リアル(10リアル=1トマン)がある。なお、首都テヘランでの一般家庭では、例えば、ナデルのような銀行員の1ヶ月の給与は、約60万トマン(約6万円)と言われている。
■イランでは新聞の配達は有料なので、宅配ではなく、キオスクなどで買うのが一般的。ナデルの父が外へ出たがるのも、毎日、新聞を買うのを楽しみにしていたからだと考えられる。
■イランはチップ社会だが、サービス料の中にチップが含まれていることも多い。
■イランでは庶民の足としてバスが使われることが多く、テヘラン市内にも様々なバスが走っている。本作に出てくるような二両連結バスは、前が男性車両、後ろが女性車両となっている。2000年にテヘランで運行を開始した地下鉄では、先頭車両が女性専用車となっている。
太字の部分は、私が映画を観ていて疑問に思っていた部分です。こうして見てみると、現代イランにおける離婚事情や教育事情、イランならではの司法制度や介護問題などがこの映画にぎゅっと詰まっていることがわかります。日本やアメリカでも、離婚率の上昇や介護問題はしばしば取り上げられますが、イランでも事情は似通っているんですね。だからこそ、現代イランの国内問題を浮き彫りにしたこの作品が、世界の人々の心に突き刺さったのかもしれません。
『別離』というタイトルから男女の愛憎劇だけが描かれた内容を想像していましたが、個々の事情を抱えた人間が互いに振り回し、振り回されていく人間模様をサスペンスで奇妙に強調した、実に深い社会派映画でした。
というわけで、最後にジェガーさんが推理をしたためた紙をご紹介。ネタバレが心配な人は読まないでください。ただし、この推理は間違っています。
この展開もありっちゃありかもしれません。