小説『グレート・ギャツビー』で何度も目にした「scorn」の意味とは?

少し前に映画『華麗なるギャツビーThe Great Gatsby)』を観た後、興奮してF・スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald)の原書読破に再挑戦したのですが、無事読破しました!興奮しすぎて、2回読破しました。

The Great Gatsby

私は好きな本を繰り返し何度も読むのが好きなのですが、同じ本を2回連続読んだのは『グレート・ギャツビー』が初めてです。
The Great Gatsby
そして2回読んでいて、”scorn” という単語が何度も小説に登場したことに気づきました。

いくつか取り上げただけでも、

Only Gatsby, the man who gives his name to this book, was exempt from my reaction — Gatsby, who represented everything for which I have an unaffected scorn.

Her eyes flashed around her in a defiant way, rather like Tom’s, and she laughed with thrilling scorn.

She turned to me, and her voice, dropping an octave lower, filled the room with thrilling scorn: “Do you know why we left Chicago? I’m surprised that they didn’t treat you to the story of that little spree.”

などがあります。

補足

“scorn” は「軽蔑」という意味です。

scorn | Macmillan Dictionary

scorn: a feeling that someone or something is not good enough to deserve your approval or respect

(人や物が尊敬あるいは容認に値しないと感じる気持ちなんですね!)

最初の一文は「ただひとり、ギャツビー、この本にその名を冠したこの男だけは例外で、彼にはぼくもこうした反撥を感じなかった――ギャツビー、ぼくが心からの軽蔑を抱いているすべてのものを一身に体現しているような男。」次の一文は「彼女は、むしろトムにこそふさわしい挑戦的な態度で、きらりとあたりに視線を投げ、それから自嘲的に笑った」そして最後の一文は「彼女は、ぼくのほうをむくと、オクターヴ下げた声にぞっとするほどの軽蔑をこめて『あんた、どうしてあたしたちがシカゴから移ったのか知ってる?そういう脱線の話をみんなから聞かされたでしょうが』」となっていたのでした。(日本語訳は野崎孝氏の訳書より引用)

ポイント

というわけで、『グレート・ギャツビー』はやっぱり名作でした!

中でも一番私の印象に残ったのは、ギャツビーと、彼の親友でありこの物語の書き手であるニック・キャラウェイの以下の会話。

“You can’t repeat the past.”
“Can’t repeat the past?” he cried incredulously.
“Why of course you can!”
He looked around him wildly, as if the past were lurking here in the shadow of his house, just out o reach of his hand.
“I’m going to fix everything just the way it was before,” he said, nodding determinedly. “She’ll see.”
He talked a lot about the past, and I gathered that he wanted to recover something, some idea of himself perhaps, that had gone in to loving Daisy.
His life had been confused and disordered since then, but if he could once return to a certain starting place and go over it all slowly, he could find out what that thing was….

(「過去はくりかえせないよ」
「過去はくりかえせない?」そんなことがあるかという調子で彼の声は大きくなった「もちろん、くりかえせますよ!」
そう言って彼は、やっきとなってあたりを見まわした。彼の家が影を落しているこの庭の、どこか手をのばせばすぐ届く所に、過去が潜んでいるかのように。
「わたしは、何もかも、前とまったく同じようにしてみせます」断乎としてうなずきながら彼は言った「あの人にもいまにわかります」
彼はいろいろと過去を語った。それを聞いてぼくは — 何かを取りもどそうとしているのだ、デイズィを愛するようになった何か — おそらくは自分に対するある観念をでも — 取りもどそうとしているのではないかと思った。だが、もし彼が、いったんある出発点にもどり、ゆっくりと全体をたどりなおすことができるならば、事の次第をつきとめることができるだろう…… ※日本語訳は野崎孝氏の訳書より引用)

富さえあれば、愛するデイジーだけでなくデイジーと共に過ごした過去も取りもどせると思っているギャツビーのこの発言に、彼の全てが表れているように思いました。

小説を2回読んだ後、以前紹介したクリフノートも読んだのですが、そこには上記の場面についてこう書かれていました。

Yet even as Gatsby speaks of his dream he walks down a path covered with the symbols of reality. The fruit rinds, discarded party favors, and especially the crushed flowers are evidence that the past cannot be fixed and maintained forever, that the party must always end sometime, leaving a rather unpleasant residue. The symbols of the pleasure and gaiety of the night before are the garbage of the morning after.

(しかし、夢を語る時、ギャツビーが歩く小道は現実を象徴するもので覆われている。果物の皮、捨てられたパーティの記念品、そしてひしゃげた花は特に、過去が元に戻せないこと、永遠に維持できないことを物語っている。パーティーはいつか必ず終わるものであり、どちらかといえば不快な残骸を残すものだ。前夜の楽しみと華やかさの象徴こそ、翌朝のごみなのだ。)

クリフノートでは、当時のアメリカの極端な物質主義が繰り返し強調されていて、その極地がギャツビーであるように読み取れました。重要な場面で何度も登場する「車」も、その象徴の一つだと解説されています。

In America the automobile ranks first among status symbols, and Gatsby’s gorgeous machine is the ne plus ultra of automobiles. “Swollen” with protuberances and of “monstrous” length, it is an overblown absurdity created by wealth to fulfill the American dream of personal material success.

(アメリカでは自動車は地位を象徴する最たるものであり、ギャツビーの豪華な車はその極めつけだった。そのばかでかさは、個人の物質主義的成功というアメリカン・ドリームを満たすために富によって造られた、度が過ぎたばかばかしさなのである。)

※補足:”swollen” と “monstrous” については、以下のくだりのことを指していると思われます。

He saw me looking with admiration at his car. “It’s pretty, isn’t it, old sport!” He jumped off to give me a better view. “Haven’t you ever seen it before?”

I’d seen it. Everybody had seen it. It was a rich cream color, bright with nickel, swollen here and there in its monstrous length with triumphant hatboxes and supper-boxes and tool-boxes. and terraced with a labyrinth of wind-shields that mirrored a dozen suns.

(ぼくが感嘆して彼の車を眺めているのを見ると、
「きれいでしょう、親友」と彼は、ぼくが見やすいように車から跳びおり、「まえにごらんになったことがなかったですかな?」
見たことはあるのだ。だれだって見ている。豊麗なクリーム色の車だ。燦然たるニッケルの金具を用い、巨大な全長のあちこちから、帽子の函、弁当の箱、道具の箱がこれ見よがしにあふれだし、迷路のように入り組んだ幾枚かの風防ガラスには、太陽がいくつにも映っている。※日本語訳は野崎孝氏の訳書より引用)

ただし、この物語は、決してギャツビーだけの物語ではありません。

I see now that this has been a story of the West, after all — Tom and Gatsby, Daisy and Jordan and I were all Westerners, and perhaps we possessed some deficiency in common which made us subtly unadaptable to Eastern life.

(いまにして思えば、この話は、けっきょく、西部の物語だった — トムもギャツビーも、デイズィもジョーダンも、それからぼくも、みんな西部人である。そして、ぼくたちはたぶん、ぼくたちを東部の生活になんとなく適合できなくさせる、何か共通の欠陥を持っていたのだろうと思う。※日本語訳は野崎孝氏の訳書より引用)

スコット・フィッツジェラルドが28歳でこの小説を書いたなんて、本当に信じられません。

2回読み終わった後、ジェガーさんに「うちフィッツジェラルドめっちゃ好きかも」と言うと、ヘミングウェイ好きのジェガーさんが「フィッツジェラルドとヘミングウェイは親交あったんやで」とぽつり。

そういえば、映画『ミッドナイト・イン・パリMidnight in Paris)』(2011)にも、2人が出てきていました。

そうかフィッツジェラルドとヘミングウェイは同世代やってんな〜と思っていると、「次、あれ読んだら?『移動祝祭日(A movable feast)』」とジェガーさんが言ってきたので、「何その本?」と聞くと、「ヘミングウェイが20代の時にパリにいた頃の回想録やで。フィッツジェラルドも出てくるで」

!!!

調べたら Kindle 版が出ていたので、さっそくダウンロード。これは面白そうです。